あの世のイメージは、苦しみに満ちあふれた地獄と、その対極にある苦しみの
ないパラダイス(天国・極楽)をセットにしてかたち作られる。人生には苦も楽
もあるが、古今東西の宗教が果たしてきた役割の一つは、人々の苦しみをいかに
緩和させるかというところにあるだろう。
仏教でも、人の一生にはさまざまな苦があることを説く。それは生・老・病・
死の四苦と、愛別離苦(愛する者と死別・生別する苦)・怨憎会苦(おんぞうえ
く・嫌いな人と向き合わなければならない苦)・求不得苦(ぐふとくく・欲しい
ものが得られない苦)・五蘊盛苦(ごうんじょうく・さまざまな欲望に振り回さ
れる苦)を含めた八苦で、これを四苦八苦という。命あるものに必ず訪れる死へ
の恐怖は、苦しみの大きな要因である。
死を迎えることへの苦しみのあり方は人それぞれであるが、死後、生前の行い
に応じて魂は別の世界へと転生するという宗教観は、人々に地獄の恐ろしさを突
きつけ続ける。いかにすれば地獄行きを免れられるのか、その不安な思いもまた
苦しみとなる。
人々を地獄の恐怖から解き放たせてくれる救済者として信仰されるのが、阿弥
陀如来である。阿弥陀如来は、助けを求めるもの全てを救済する仏であると経典
に説かれ、「南無阿弥陀仏」とその名を唱えれば西方極楽浄土に生まれ変わらせ
てくれるとされる。その極楽浄土のイメージは、香気がただよい、豪華な楼閣が
建ち並ぶ、昔の人々が想像した最高のパラダイスであった。
さて、例え名医がいても、その病院への行き方がわからなければ治療は受けら
れない。同様に、阿弥陀如来の救済が我が身にも及ぶことを実感するためには、
極楽浄土へたどり着く方法を知っておく必要がある。それを示す装置が、来迎図
である。
人が臨終を迎えた際、阿弥陀如来はその人の前に現れるという。来迎図はその
イメージを、虚空から雲に乗って降り立ち、迎えにくる姿として描き出した。こ
の来迎のイメージをよりリアルなものとするために、如来や菩薩の仮面を付けた
人々が実際に練り歩く来迎会(らいごうえ)も各地で行われた。
日常の苦痛の延長上にある地獄が想像されやすいのとは異なり、極楽浄土の「
すばらしさ」を体験的に思い浮かべることは難しい。その点、あの世とこの世を
つなげる来迎のイメージは、救済者の存在を身近に感じさせるものであり、救い
の象徴として人々の心に安穏を与える役割を果たしたといえよう。
極楽浄土のイメージ(無量寿経曼荼羅・県立博物館蔵) と 来迎のイメージ(阿
弥陀三尊来迎図・長保寺蔵)
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当館学芸員 大河内 智之
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