「いやし系」山水画家・野呂介石の全て!

  

 介石の最初の先生は、鶴亭(かくてい)に確定!

 介石が最初についた絵の先生は、これまでよくわかっていませんでしたが、今回の展覧会では、鶴亭(1722〜85)という黄檗宗(おうはくしゅう)の僧侶であることが明らかになりました。鶴亭が描いた鶴の絵の箱書で、介石は鶴亭が自分の先生であることを述べているからです。鶴亭は、介石より少し前に活躍した伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716〜1800)という画家にも大きな影響を与えました。

 

 偉大なる師匠、池大雅(いけのたいが)

 今回の展覧会では、介石が本格的に絵を学んだ師匠である池大雅(1723〜76)の作品もいくつか展示しています。大雅は、日本の文人画を大成させた最も有名な画家の一人です。重要文化財の「瀟湘八景図屏風(しょうしょうはっけいずびょうぶ)」をはじめ、大雅の優れた作品からは、介石への影響関係もうかがえます。

 

発見!!日本最古の赤富士図

 朝日を反射して赤く光る赤富士。介石は、日本の絵画作品の中で、最も古い赤富士図を描いたことでも有名な画家です。同じく赤富士を描いたことで知られる葛飾北斎(かつしかほくさい、1760〜1849)よりも、10年近く前のことでした。今回は、さらにそれよりも5年も前に描かれた介石の赤富士図を初公開しています。

 

中国の絵をそっくり模写

 介石が活躍した時代には、多くの文人たちが中国の絵画や文学に強いあこがれを抱いていました。そうしたあこがれの強かった介石は、実際に多くの中国の絵を見て、よく似た作品や模写を描いています。今回の展覧会では、そうした中国の絵と、介石の絵とを比較しながら見ることができます。

 

やっぱり紀州はいいところ

 和歌山城下で生まれ、47歳からは紀伊藩士として勤めた介石は、仕事がら、紀州各地を訪れることができました。そのため、介石は、那智滝など、豊かな自然に恵まれた紀州を題材とした山水図を多く描いています。穏やかで親しみやすい介石の画風は、まさに紀州の「いやし系」画家ともいえるでしょう。

 

お殿様への献上画

 町人の身分から紀伊藩士へ登用された介石は、紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771〜1852)からとても高い評価を得ていました。晩年の介石の作品の中には、この治宝へ献上されたことがわかる絵もいくつか残されています。そうした献上画には、介石の表現の全てが盛り込まれているのです。