展示のみどころ


博物館には驚きがいっぱい!

 

銅像とその原型、800年ぶりの出会い!


 かつらぎ町三谷に所在する三谷薬師堂に伝わる、鎌倉時代に作られた木製の女神坐像は、昨年秋に和歌山県立博物館で開催した特別展「高野山麓 祈りのかたち」(会期:平成24年10月20日~12月2日)で初公開し、その特徴から、本来は金属製の神像を造るための原型であったことをお伝えしました。
 このたび、まさしくこの女神像を原型として鋳造された銅製の女神坐像2体が、日本国内に残されていることが判明しました(個人蔵)。全国でもこれまでに、銅製の神像とその木型の両方が確認された事例は確認されておらず、今回が日本で初めての作例となります。今回の企画展ではでは、銅製の神像とその木型を、初めて並べて公開します。両像はおよそ800年ぶりの出会いです。

女神坐像(銅像:個人蔵、木像:三谷薬師堂蔵)


 なお、三谷薬師堂の女神坐像(木像)は、江戸時代まではかつらぎ町三谷の丹生酒殿神社に祀られていたものと考えられます。また個人蔵の女神坐像(銅像)は、文献資料からの推測も含め、江戸時代まではかつらぎ町上天野の丹生都比売神社に祀られていたものと考えられます。高野山の信仰の歴史に新たな1ページを刻む、重要な神像の発見です。

 

こんなに大きな絵とこんなに小さい仏像

 


仏涅槃図(和歌山県立博物館蔵)

 

 仏涅槃図(和歌山県立博物館蔵)は、表具も含めた全長が438.5㎝もある大きな絵で、裏に記された銘文から、寛永14年(1637)に、紀伊藩家老の三浦為春が、自らが建てた了法寺に納めたものです。


地蔵菩薩坐像
(観喜寺蔵)

そして有田川町の歓喜寺に伝わる地蔵菩薩坐像は、像高わずかに3.3㎝の小さな仏像で、鎌倉時代前期に作られたものです。ため息がでるほど、細かく彫刻されています。

もとは同じ歓喜寺に伝わる別の地蔵菩薩像の像内に納められていたもので、江戸時代に取り出されてからは、地域の人びとの手で大切に守り伝えられてきました。

 

大太刀と小太刀



鬼勝象之介の大太刀(正住寺蔵)


全長183.6㎝もある大太刀は、和歌山県で最大の刀です。江戸時代前期に紀伊藩お抱えの力士だった、身長約2m23㎝(7尺4寸5分)もあったという蓮井象之助(鬼勝)の所用品だったものです。蓮井象之助のお墓がある、和歌山市の正住寺に伝わっています。


黒漆小太刀 銘有次(滝尻王子宮十郷神社蔵)

 小太刀は、全長30.3㎝しかない、和歌山県で最小のミニチュアの刀です。熊野三山への道中にある、田辺市の滝尻王子宮十郷神社に伝わった平安時代の太刀で、重要文化財に指定されています。奥州藤原氏の3代、藤原秀衡が奉納したものと伝承されています。

 

盗まれた仏像が帰ってきた!


愛染明王立像(円福寺蔵)

 

 平成22年(2010)から翌年の春にかけて、和歌山県下では連続60件に及ぶ大規模な文化財盗難事件が発生しました。犯人は逮捕されたものの、売り捌かれた文化財の多くが今もなお未発見のままです。
 紀の川市穴伏の円福寺でも、平成22年10月、11体の仏像が盗難被害を受けました。そのうち愛染明王立像を含む3体が、平成25年(2013)2月に発行されたオークションカタログに掲載されていることが分かり、その後の交渉で無事に円福寺に取り戻すことができました。
 各地で同様の被害を受け、今も未発見の文化財を取り戻すための希望の光として、ご紹介します。