根来寺の発展


戦国時代にはいると、根来寺は飛躍的に発展する。谷の中は平地も山あいも、坊院で埋め尽くされていった。坊院は、周辺の土豪をスポンサーとして、「根来衆」と呼ばれた強力な僧兵集団を養い、また紀北・泉南地域での地主としての権益や油商売などによって、相当な経済力ももっていたようである。坊院の遺構からは山内の豊かな生活を示す遺物も数多く発見されている。根来寺遺跡(根来寺坊院跡)は今も発掘が進行中であり、全国でも有数の中世遺跡である。

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