熊野信仰のひろがり


熊野は豊かな自然のなかで多様な信仰を育んできた。平安時代後期、浄土信仰のひろがりのもと、熊野は阿弥陀如来あるいは千手観音の浄土とされ、人々はそこに来世を託した。他方、現世の招福、不老長寿の願いの実現もまた、人々は熊野に託すようになった。こうした信仰の普及を支えたのが、御師と旦那の間をつなぐ先達や、絵解きを唱道しつつ諸国を巡った熊野比丘尼の活動である。

熊野比丘尼


中世後期、熊野信仰の教化につとめ、人々を熊野の地へと誘ったのは、熊野比丘尼とよばれる尼僧であった。彼女たちは、『観心十界曼荼羅図』『那智参詣曼荼羅図』や『熊野本地絵巻』を携え、絵解き唱道を行いながら諸国を巡り歩いた。三山の護符(牛玉宝印)を広めたのも比丘尼である。近世に入ってからは、遊芸人化したといわれるが、彼女たちが熊野信仰の全国普及と庶民化にはたした役割は大きい。

那智参詣曼荼羅図


戦国時代から江戸時代前期にかけて、数多くの社寺参詣曼荼羅図が作られたが、『那智参詣曼荼羅図』はその代表的な作例で、残存する数も圧倒的に多い。通常は『観心十界曼荼羅図』と一セットで制作されたものと考えられるが、そろって残っている例は少ない。上部左右に日輪と月輪を置き、那智の山内、補陀落浜、妙法山などの景物を描く。その中を、男女二人の白衣の道者が、先達の山伏に導かれながら参拝して歩くという構成になっている。

那智参詣曼荼羅図はこちら