銅鐸の祭り


銅鐸は弥生時代を特徴づける青銅器である。おそらく農耕祭祀に際し、祭器として用いられたものと思われるが、その出土地をみるとムラや墓地とは離れた丘陵の斜面などが多い。銅鐸は本来楽器であり、内部に吊り下げた舌の当たる音を聞いたものと考えられる。その後、急激に大型のものへと発達し、装飾性を加味しながら「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」へと変化していくが、それは銅鐸の祭りに大きな転換があったことを示唆している。

銅鐸のひろがり


和歌山県は全国的にも銅鐸発見例の多い地域であり、現在二十数ケ所の出土地を見ることができる。その分布は大きく、紀ノ川から有田川地域、南部川から会津川流域、その中間域の日高川流域の三つの地域に分けることができるが、それぞれ銅鐸の様相は異なっている。銅鐸のまつりを早くに取り入れた紀北、それを後に盛行させた紀南、両者の中間的様相が現れた日高川流域。これは和歌山県の銅鐸受容の時期が二時期にわかれていたことを示す。