芦川家文書のうち 徳川秀忠領知宛行状 一通
紙本墨書 縦45.8 横61.3 寛永2年(1625) 和歌山県立博物館蔵(芦川家旧蔵)
旗本の美濃部新七郎に対して、近江国三か村300石を与える旨を記した折紙形式の領知宛行状である。料紙は大高檀紙。この年は「寛永の朱印改め」が行われ、多数の領知宛行状が発給されている(領知高が高い場合は竪紙形式)。印章(忠孝)から発給者は大御所の秀忠とわかる。元和9年(1623)に秀忠は将軍職を家光に譲ったが、依然として領知宛行状の発給権は秀忠が握っていたことが、この文書からわかる。ただ、芦川家に伝来した経緯については不明である。