秀詮は10月18日に死去し、跡継ぎがいなかったことから、小早川家の備前・美作両国の所領40万4000石は、幕府に収公されることになった。この目録は小早川家の年寄を勤める伊岐遠江守ら6人が連署し、徳川家康の年寄衆である本多佐渡守(正信)ら3人に宛てたもの(写)である。小早川氏領国のうち、御蔵入(蔵入地)が85600石余、給人方(知行地)が20万4300石余、明知分が11万4000石弱に区分されていたこともわかる。伊岐家は小早川家断絶後、加賀の前田家に仕え、寛永5年(1628)に紀伊徳川家に召し抱えられた。
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