作品紹介


重要文化財
紀伊国神野(こうの)・真国荘(まくにのしょう)絵図

  康治2年(1143) 1幅 神護寺(じんごじ)蔵(展示資料目録1)

 平安時代の神野・真国荘を描いた古地図。
中央に二股に分かれて流れるのが、貴志川と真国川です。
茶色と黒で彩色されているのが、山です。
川の流域には各村名が記されており、
田をあらわす格子状の図像も描かれています。
また荘園
しょうえんの境目を○と地名で示しているのも特徴的です。
西端には文字や木が描かれており、川の名前なども詳細に描かれています。
西隣の石清水
(いわしみず)八幡宮の荘園である野上荘(のかみのしょう)と、
境目をめぐって争っていた関係で、非常に細かく、
またそれぞれの主張する境目が描き込まれています。


文覚上人(もんがくしょうにん) 1幅

 鎌倉時代 神護寺(じんごじ)蔵  (展示資料目録3)

 京都神護寺の復興に尽力した文覚上人の肖像画。
文覚上人は、熊野那智の滝で修行するなど
和歌山との関わりも深い人物です。
源頼朝に平家打倒の挙兵を勧めるなど、
鎌倉時代の幕開けに大きな役割を果たしました。
神護寺には複数の文覚上人像が伝わりますが、
この像はそのうちの一幅です。
この像は本画(完成図)の下絵である可能性があります。
肖像画がどのように制作されるか、
その過程を示す作例として、とても貴重です。


毘沙門天(びしゃもんてん)立像  1軀

 平安時代 玉泉寺(ぎょくせんじ)蔵 (展示資料目録41)

 

 紀美野町の玉泉寺は明恵(みょうえ)が開いた寺と伝えられます。
しかし、明恵が活動していた時期をさかのぼる仏像が多く残されています。
この仏像はそのうちの一つ。
(よろい)の表面の模様を彫りだして立体的にあらわすなど
細部まで丁寧に作られ、怒りの表情にも迫真性があります。
平安時代後期、12世紀に作られた仏像で、優れた出来映えを示しています。
中央の仏師の手になるものと思われます。


野上八幡宮託宣記(たくせんき) 3巻

  至徳元年(1384) 野上八幡宮蔵 (展示資料目録105)

 紀美野町の野上八幡宮に伝わった古文書。
建治4年(1278)、野上荘
(のかみのしょう)の役人である
信智
(しんち)の娘が重病にかかり、
禅僧の無本覚心
(むほんかくしん)(由良興国寺の開山)を呼び
祈禱
(きとう)させたところ、
八幡神があらわれ、八幡神と覚心らが30にもわたる問答を繰り広げます。
この古文書は、その問答の様子を記したものです。
問答のなかには、当時の人々の悩みが赤裸々に綴られています。
座禅の効能、地震などの自然災害の原因、また百姓を召し使うこと、
狩猟などをしたりすることに対して、苦悩を抱えていたことがわかります。