作品紹介


那智瀑布図(なちばくふず) 桑山玉洲筆(くわやまぎょくしゅうひつ) 
和歌山県立博物館蔵

桑山玉洲使用印桑嗣燦印(そうしさんいん)」「明夫(めいふ)(陰文連印(いんぶんれんいん)
個人蔵

江戸時代(18世紀)

 左の絵は、桑山玉洲(1746~99)が描いた那智(なち)の滝の絵です。絵の右上に押されているハンコが、左下の写真のハンコで、「桑嗣燦印」「明夫」という玉洲の名前と雅号(がごう)が彫られています。陰文(いんぶん)とは、ハンコの文字の部分を彫りくぼめてあらわしたもので、朱肉で押すと文字の部分は白くなるため、白文(はくぶん)とも呼ばれました。一方、連印(れんいん)とは、二つのハンコが連なったようなハンコを指し、縦長の一つの石の中央に、横に溝を彫って、二つの印面に分けたもののことです。 


書「眉寿(びじゅ)」 徳川治宝筆(とくがわはるとみひつ)
個人蔵

江戸時代 弘化4年(1847)

 右は、紀伊藩10代藩主の徳川治宝(1771~1852)が書いた書で、「眉寿」とは、眉毛が長く白くなるほどの長寿を意味します。押されているハンコは、右上が「桃華源裏人家(とうかげんりのじんか)」(陽文長方印(ようぶんちょうほういん))、左上が「賜深紫(ししんし)」(陰文長方印(いんぶんちょうほういん))、左下が「楽只(らくし)」(陽文陰竜装飾郭方印(ようぶんいんりゅうそうしょくかくほういん))です。「桃華源裏人家」は王維(おうい)の漢詩に基づく一節で、「賜深紫」は礼服で着る衣の色が一位のみ深紫色であることから、一位の位階(いかい)を示しました。治宝が従一位(じゅいちい)となった天保8年(1837)以降の作とわかり、付属資料によると紀伊藩士が弘化4年(1847)に治宝から拝領したようです。 


清寧軒焼(せいねいけんやき) 赤楽茶碗(あからくぢゃわん)
(めい)眉寿(びじゅ)」 楽旦入作(らくたんにゅうさく)
個人蔵

 江戸時代 天保12年(1841)

 清寧軒焼は、紀伊藩11代藩主の徳川斉順(なりゆき)(1801~46)が、別邸の湊御殿(みなとごてん)や和歌山城の西の丸・江戸藩邸(はんてい)などで焼かせた御庭焼(おにわやき)です。左の茶碗は、底裏に「清寧(せいねい)」(陰文重郭瓢印(いんぶんじゅうかくひょういん))と「楽(らく)」(陰文重郭円印(いんぶんじゅうかくえんいん))の印が押されていることから、京都の陶工である楽旦入(1795~1854)が作った清寧軒焼とわかります。この「清寧」の瓢印は、たいてい旦入の印とセットで押されており、一種類しかないようです。箱書には、旦入が南紀男山(なんきおとこやま)の土を使ったと記し、表千家十代吸江斎(きゅうこうさい)(1808~60)が長寿を意味する「眉寿」の銘をつけているほか、天保12年(1841)の作であるとも記されています。