展示のみどころ


師弟コンビが描いた那智山と富士山

 野呂介石(1747~1828)が描いた那智山(左)と弟子の野際白雪(1773~1849)が描いた富士山(右)です。那智図(左)は中央に那智山を配し、山頂近くから流れ出る三つの滝を斜め左下に連なるように配置されています。寛政6年(1794)に紀伊藩10代藩主徳川治宝が行った熊野三山の巡検に同行した介石が実際に見た風景を描いたようです。富岳図(右)は、中央向かってやや左よりに白い富士山を据え、近景から中景にかけては、右下から横長の孤を描くように駿河湾の海岸線が描かれています。この2幅対の絵は、同時に描かれたのではなく、先に介石の那智図が描かれ、それにあわせる形で治宝の命を受けた白雪が、同じ大きさで富岳図を描いたとみられています。

 

那智(なち)・富岳図(ふがくず) 野呂(のろ)介石(かいせき)・野際(のぎわ)白雪筆(はくせつひつ) 二幅対 
                          和歌山県立博物館蔵(展示番号5) 【企画展】

 

山門の部材に記された164年前の安政地震津波の記憶

 安政地震津波で被害を受けた南珠寺(新宮市佐野)の山門が5年後再建された際、山門の門扉に使われたとみられる部材です。門扉の板を支える中桟(なかざん)ではないかと考えられています。その一面に安政地震地震の記憶が記されています。嘉永7年(1854)に起こった一連の大地震による山門の被害が大きかったことがわかります。寺伝によれば、安政地震津波によって流されたケヤキの大材が再建に使われたと言われています。平成11年に山門は建て替えられましたが、「災害の記憶」を記した貴重な文化財として、南珠寺で大切に保存されています。

 

 南珠寺(なんしゅじ)旧山門(きゅうさんもん)
        部材(ぶざい)銘文(めいぶん)  1点  南珠寺蔵

         (展示番号31) 【コーナー展示】