主な展示資料
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和歌山城内(わかやまじょうない)で 祭(まつ)りを見物(けんぶつ)する人々(ひとびと)の 姿(すがた)を描(えが)いた団扇(うちわ)
和歌浦(わかのうら)に生育した芦(あし)の茎(くき)を使った団扇で、和歌山城内にあった邦安社(くにやすしゃ)の祭礼が描かれています。岩瀬(いわせ)広隆(ひろたか)の原画をもとに制作されました。邦安社には、紀伊藩の支藩である西條藩(さいじょうはん)(愛媛県(えひめけん))の松平頼雄(まつだいらよりかつ)が祭られています。楽車(だんじり)の行列は左下の吹上橋(ふきあげばし)を渡り、吹上門をくぐり、さらに中央の吹上大門から、西の丸に進んでいます。いつもは簡単には入れない三の丸で、祭礼を見物する町人の姿もみえます。 |
芦辺団扇(あしべうちわ) 岩瀬(いわせ)広隆(ひろたか)原画(げんが) 1本 江戸時代(19世紀)
和歌山県立博物館蔵(展示番号5) |
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江戸(えど)時代(じだい)の 子(こ)どもの遊(あそ)び道具(どうぐ)
和歌山市西鍛冶屋町(にしかじやまち)の鷺ノ森遺跡第3次発掘調査で出土(しゅつど)した遺物(いぶつ)です。泥面子(どろめんこ)(写真左上)は型(かた)にはめられて作られた直径2.0~3.5㎝、厚さ0.6~1.0㎝の円形のものが大半で、家紋(かもん)・漢字・ひらがななどの文様がみられます。穴一(あないち)遊び(地面に小さな穴をあけ、約1m離れた線の外から投げ入れて勝負を競う)に使われたともいわれています。土人形(つちにんぎょう)(写真左下)は、2つの型を合わせるようにして作られたものが多いようです。病気治癒(ちゆ)の願掛(がんか)け、民間信仰に関わるもの、子どものままごと遊びに使われたものなどがありました。 |
鷺(さぎ)ノ森(もり)遺跡(いせき) 出土(しゅつど)遺物(いぶつ)のうち 泥面子(どろめんこ)・土人形(つちにんぎょう) 92点 江戸時代(17~19世紀)
和歌山市教育委員会蔵(展示番号13) |
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寺町(てらまち)の大智寺(だいちじ) 境内(けいだい)にあった霊屋(たまや)を 修理(しゅうり)した際(さい)の棟札(むなふだ)
寛永(かんえい)9年(1632)紀伊藩(きいはん)初代藩主徳川(とくがわ)頼宣(よりのぶ)は兄秀忠(ひでただ)の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うため寺町に大智寺を造営し、翌年霊屋が完成しました。この棟札から、文政(ぶんせい)13年(1830)に11代藩主徳川斉順(なりゆき)が霊屋の修理を行ったことがわかります。明治3年(1870)霊屋は取り壊され、翌年阿弥陀寺(あみだじ)(和歌山市鳴神)の本堂として移築されました。平成30年5月18日国の文化審議会は、阿弥陀寺本堂を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しており、近いうちに重要文化財に指定されることになりました。この棟札は、重要文化財(附)に指定されます。
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阿弥陀寺(あみだじ)本堂(ほんどう) (旧(きゅう)紀伊藩(きいはん) 台徳院(たいとくいん)霊屋(たまや)) 修理(しゅうり)棟札(むなふだ) 1枚 和歌山県指定文化財(附) 文政13年(1830) 阿弥陀寺蔵(展示番号31) |