作 品 紹 介

 

双鶴図 鶴亭筆
 そうかくず かくていひつ

安永6年(1780) 個人蔵

これは、鶴亭(1722〜85)という人物の描いた鶴の絵です。鶴亭は、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧侶ですが、画家としても有名で、江戸時代中期の画家・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716〜1800)にも大きな影響を与えました。この絵の箱書に、介石は、和歌山城下の沼野氏(ぬまのし)から頼まれて、自分の師匠である鶴亭に描いてもらった絵であることを記しています。介石自身が鶴亭を師匠であると書いた貴重な資料です。これにより、介石が鶴亭から絵を学んでいたことが明らかになりました。

 

富岳紅暾図 野呂介石筆
 ふがくこうとんず のろかいせきひつ

文化13年(1816) 個人蔵

 介石が江戸へ行く途中で見た富士山を描いた絵です。左の文章には、夜明け前に三島を発ってしばらく歩くと、まだ昇らない朝日を受けた赤い富士山が、暗い空の中にあらわれたと記されています。介石が、日本で最も古い赤富士を描いた画家であることは知られていましたが、それは文政4年(1821)の作品とみなされていました。これは、それよりも5年も前に描かれた赤富士で、この絵で介石は、日本最古の赤富士図の記録をさらに更新したのです。

 

王維画訣図巻 野呂介石筆
 おういがけつずかん のろかいせきひつ

文政2年(1819) 個人蔵

 付属する手紙などから、紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771〜1852)に献上されたことがわかる貴重な絵です。中国・唐時代の有名な詩人であり画家である王維(おうい、701〜61)が書いたとされる「山水訣(さんすいけつ)」という文章を絵画化しています。介石73歳という晩年に描かれたとは思えないほど、淡い彩色とみずみずしさにあふれた作品です。藩主への献上画という名誉ある作品の中に、介石は山水表現のエッセンスを全て盛り込んだともいえるでしょう。