作品紹介
|
||||||
|
①・②とも中世カセ田荘の景観を描いた絵図で、構図はほぼ同じである。画面右寄りに「八幡宮」と「堂」がみえ、近景の山々には樹木が描かれ、四か所に集落がみえる。地形からみると西半分に偏って描かれているという特徴がある。 ①はカセ田荘の荘園領主である神護寺に残されていることから、カセ田荘が神護寺の荘園となった元暦元年(1184)に、荘園の範囲を示すために作成したという説が有力であるが、異論もあり、制作時期は確定していない。 ②は①を写したものとされている。ただ、写された時期については、①が作られた時期に、領主である神護寺が同じ絵図をもう1つ作らせ、カセ田荘に与えたという説と、延徳3年ごろ地元のカセ田荘では静川荘(しずかわのしょう)との水争いがあり、カセ田荘側が証拠書類とするために、神護寺で写したという説がある。「八幡宮」「堂」の描写が明らかに違っていることから、ここでは後者の説をとっている。 |
|
|
|
||||||
|
かつらぎ町大字笠田中にある無量寺の本尊の阿弥陀如来坐像である。浅く流麗な衣紋(えもん)線など、平安時代後期の定朝様(じょうちょうよう)と呼ばれる造像様式が典型的に現れていることから、12世紀ごろの制作とみられ、カセ田荘域に残る仏像のなかで、最も古い仏像と考えられている。近くをカセ田荘の基幹水路(文覚井(もんがくゆ))が流れており、無量寺のある笠田中地区が、カセ田荘のなかで中心的な集落であったことが想定される。 | ||||||
|
|
|
||||||
|
宝来山神社の神宮寺(じんぐうじ)であった神願寺(じんがんじ)の本堂脇壇に安置されている十一面観音立像である。力強さと写実性のある慶派仏師(けいはぶっし)の作風から、13世紀ごろの制作とみられる。こうした仏像は、荘園領主であった神護寺や神護寺と関係を持ち、実際にカセ田荘の支配に関わった湯浅氏の本拠地である有田川流域に集中的にみられる。湯浅氏がカセ田荘の支配に深く関わっていたことを示すものと考えられる。 | ||||||
|
|
| ||||||
|
火鉢状になった上部に灰を敷き詰め、木型でその上に溝を作り、その溝に檜の葉を乾燥させて砕いた香を盛って、燃えていく位置で時を知る道具である。溝には一定の間隔で印が付けられている。この時香盤が残されていた林ヶ峯地区は、池水による灌漑(かんがい)が中心の静川荘の山間の集落である。池の水は、川の水以上に水量に限りがあったため、水争いが頻繁に起こった。時香盤は、所持する土地に応じて取水時間を決め、池水の配分を行うために使われた。 | ||||||
|
|