主 な 仮 面 の 紹 介

笑尉(わらいじょう) 鎌倉〜室町時代  紀州東照宮蔵

 

 額に皺をあらわし、眼をへの字にして笑みをたたえ、巨大な鼻を配し、口角を上げて笑う口には歯を三本覗かせています。古代の伎楽面を思わせる、おおらかで豪快な仮面です。平成18年度、和歌山県教育委員会の文化財指定ランクアップ推進事業の一環で、解体修理と調査を行ったところ、面裏に貼られていた補修用の布テープの下から、「方広作」という銘文が現れました。

 面掛で使用される仮面の中には、この「方広作」という銘文があるものが6面含まれています。これら6面は作風は異なっており、実際に方広という人物が作ったわけではないようです。ただし全て鎌倉〜室町時代に作られた古い仮面ばかりですので、おそらく和歌祭が初めて行われた元和8年(1622)頃、これらの仮面が取り集められたのだと考えられます。

 

小尉(こじょう) 江戸時代  紀州東照宮蔵

 

 小尉とは上品な老人の表情を示す能面で、神の化現の姿として用いられます。平成18年度、和歌山県教育委員会の文化財指定ランクアップ推進事業の一環で、表面に塗られていたペンキのような塗料を除去し、仮面が作られた当初の造形が確認できるようになりました。

 この面の裏側には、「天下一友閑」と記された焼印が押されています。天下一友閑(てんかいちゆうかん)は面打(能面製作者)の有力な家系、大野出目家の二代、出目満庸(?〜1652)の別称です。「天下一」とは安土桃山時代〜江戸時代前期頃において優れた職人に与えられた称号です。面掛で使用される仮面の中には、天下一友閑焼印のあるものが7面も含まれています。天下一友閑の作った仮面は、江戸時代においても簡単には入手できなかったもの。その収集には、紀伊徳川家初代藩主、徳川頼宣の積極的関与があったものと考えられます。

 

大飛出(おおとびで) 江戸時代  紀州東照宮蔵

 

 眼を見開いて口を大きく開け、耳をあらわした大飛出の面で、眼球にはめた金具は瞳の部分を段差を設けてあらわす類例のない特殊な細工を施しています。面裏には金泥銘で「出目法眼元理/栄満(花押)/大飛出/赤鶴/作」と記され、これは出目栄満が本面を伝説的な面打・赤鶴(しゃくつる)の製作面であると鑑定した極書です。出目栄満(古元利栄満、?〜1705)は面打の有力な家系のひとつ、弟子出目家初代で、紀伊徳川家とのつながりを有していたようです。長らく別保管され祭礼で使用されておらず保存状態は良好です。

 

面掛行列使用仮面 鎌倉時代〜近代  紀州東照宮蔵

 面掛行列で使用されてきた仮面は、現在97面が残されています。これらは、能面・狂言面・神楽面・鼻高面など、さまざまなジャンルの仮面が集まって形成されている仮面群です。 鎌倉時代まで遡りうるものを初め、江戸時代までに作られた古い仮面がたくさん含まれ、また江戸時代初期の優れた能面・狂言面もたくさん確認できます。これらの仮面を準備したのは、自らの意向によって和歌祭を行わせた徳川頼宣と考えて間違いなさそうです。

 その後、和歌祭が和歌浦の地域的な祭礼としての性格を持ってくると、庶民的な神楽面や鼻高面などが追加されたようです。仮面群の成立過程は複雑ですが、少しずつその謎が解明されつつあります。

 現役で使われてきた仮面のため、破損も目立っています。そこでNPO和歌の浦万葉薪能の会と能面文化協会の協力により、面掛用の新しい仮面が制作され、現在のところ45面が奉納されています。今後もさらに製作・奉納は継続されます。