主な作品の紹介


 


 文王(ぶんおう)・麒麟(きりん)・鳳凰図(ほうおうず)  岩井泉流(いわいせんりゅうりゅう)(ひつ)

絹本著色 江戸時代(18世紀)

和歌山県立博物館蔵

岩井泉流(1714~72)は、江戸に住んだ紀伊藩のお抱(かか)え絵師(えし)で、紀伊藩6代藩主の徳川宗直(とくがわむねなお)(1682~1757)に登用された人物です。この絵は、紀元前12世紀ごろの中国の君主である文王(ぶんおう)を描いたもので、中央には、釣りをする賢人の太公望(たいこうぼう)を文王が登用する場面、右側には麒麟(きりん)と松、左側には鳳凰(ほうおう)と桐(きり)を描いています。こうした主題は、狩野派が得意としたもので、泉流が江戸の狩野派で学んだことをよく示します。

 


 

 雪館集飲図(せっかんしゅういんず) 桑山玉洲(くわやまぎょくしゅう)(ひつ)

絹本著色 江戸時代(18世紀)

和歌山県立博物館蔵

桑山玉洲(1746~99)は、和歌浦(わかのうら)で廻船業(かいせんぎょう)を営む家に生まれ、ほぼ独学で絵を学びました。京都の文人画家の池大雅(いけのたいが)(1723~76)と親交を深め、この絵も大雅からの影響が顕著です。ただ、白い顔料を大胆に散らして雪を表現した点は、来日した中国人画家である沈南蘋(しんなんぴん)(1682~?)の画風に影響を受けた玉洲の真骨頂です。雪の中で宴会を開いている場面を描いており、「知足上人(ちそくしょうにん)」という人物のために描かれ、他の作例との比較から、寛政10年(1798)玉洲53歳の作と推定されます。今回が初公開です。


 叭々鳥図(ははちょうず) 崖南嶠(きしなんきょう)(ひつ) 崖熊野(きしゆや)(さん)

絹本著色 江戸時代(18~19世紀)

和歌山県立博物館蔵

崖南嶠(1769~1834)は、紀伊藩の儒学者(じゅがくしゃ)である崖熊野(1734~1813)の甥(おい)で、町人である雑賀屋仁兵衛(さいかやじんべえ)の三男です。後に熊野の養子となり、儒学者を継ぎました。野呂介石(のろかいせき)(1747~1828)や菅茶山(かんちゃざん)(1748~1827)、古賀精里(こがせいり)(1750~1817)など著名な文人とも交流があったようです。この絵は、南嶠が叭々鳥という鳥を描き、熊野が左上に賛を書いています。南嶠の絵には、当時流行した沈南蘋(しんなんぴん)(1682~?)という来日した中国人画家の影響が顕著です。