◎粉河寺縁起(国宝)を全期間公開!
粉河寺縁起は、日本最古の縁起絵巻の一つとして、国宝に指定されています。全長19m84㎝の長さですが、歴史の変遷の中で火災に遭って冒頭部分は焼失しており、また全巻にわたって焼損痕が上下に残されています。今回の特別展ではこの縁起絵巻を、前期・後期で巻替えを行いながら、全期間公開します。 粉河寺縁起には前半と後半で二つの物語が描かれていますが、どちらも主人公は「童行者(童男行者)」で、この童行者が実は観音菩薩が変身した姿であり、粉河観音は人々の前に現れて救ってくれる「生身(しょうじん)」の観音であるという霊験を語っています。 前半では、猟師が山の中で光る土地を見つけ、そこに小さなお堂を建てたところ、童行者がやってきてそこにまつる千手観音の仏像を作りました。約束の七日を過ぎて猟師が見に行くと、すでに童行者の姿はどこにも見えなかった、と語られます。 後半では、河内国の長者の娘が重い病気で苦しんでいたところ、童行者がやってきて千手陀羅尼というお経を唱え病気を治しました。お礼の宝物は受け取らず、ただ娘が差し出した赤い袴と提鞘だけを手にして、私は粉河にいると言い残して去りました。長者の家族が揃って粉河に行ってみると、堂にまつられる千手観音像の手に、あの袴と提鞘がかかっています。童行者が生身の観音菩薩だったことを知り、一家全員その場で出家して僧となり寺を守りました、と語られます。 この粉河寺縁起の前半部分(猟師による粉河寺創建譚)を10月17日(土)~11月1日(日)に、後半部分(長者娘の病を治す霊験譚)を11月3日(火・祝)~11月23日(月・祝)に展示します。それぞれ、その国宝本を江戸時代に精密に模写した粉河寺縁起写(伝冷泉為恭筆)をともに並べて、粉河寺縁起の巻頭から巻末までの全貌を、いつでもご覧いただくことができます。
 国宝・粉河寺縁起 前半の一場面(10/17~11/1)
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 国宝・粉河寺縁起 後半の一場面(11/3~11/23)
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◎本堂後戸の千手観音立像(北面千手)と二十八部衆及び風神・雷神像を展示!
粉河寺本堂の本尊千手観音像とその前立像は秘仏のため拝観することはできません。普段参拝者が拝むことができるのは、本堂裏側に安置される千手観音立像(北面千手)です。 像高160.2㎝、平安時代後期に造像された優美で穏やかな風貌の等身大の観音像です。近年修理が施され、おそらく江戸時代の本堂焼失とその再建の際に、もともと別に伝わっていた十一面観音像(あるいは聖観音像)を、千手観音像に改造して作られたものであることがわかりました。左右の脇手の手のひらには、全て玉眼製の目をあらわした入念の作りです。 同じく本堂の須弥壇上には、本尊千手観音像の眷属である、二十八部衆と風神・雷神像30体(像高66.0㎝~96.3㎝)が、所狭しと立ち並んでいます。今回の特別展では、この30体のうち11体を展示公開します。京都市・妙法院三十三間堂の二十八部衆及び風神・雷神像を直接模したと考えられる、鎌倉時代の仏像と見まごうばかりの優れた出来映えを示します。 この二十八部衆及び風神・雷神像は、創建1250年にあわせた事業として順次修理を行っており、その作業の中で一部の像内から、享保5年(1720)・享保6年の年紀と、仏師として法橋友学康林の名を記した墨書銘を確認することができました。享保5年は、現存する粉河寺本堂が上棟された年で、正徳3年(1713)に炎上した本堂の復興造営の中で造像されたことが分かります。法橋友学は、江戸時代中期を代表する仏師・七条仏師康祐の子で、これまでいくつかの作例は確認されていましたが、この群像はその代表作例となるものでしょう。
 千手観音立像 平安時代 粉河寺蔵
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 風神像(二十八部衆及び風神・雷神像のうち) 江戸時代 粉河寺蔵
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◎さまざまな「粉河寺縁起」を一堂に展示!
粉河寺縁起の絵巻は国宝本だけではありません。今回の展示では、江戸時代に制作された国宝・粉河寺縁起の精密な写しのほか、また別の粉河寺の縁起を絵巻にした粉河寺観音霊験記の絵巻、粉河寺の塔頭御池坊の本尊、童男行者像に関する縁起絵巻など、数々の縁起絵巻を一堂に公開します。 展示する縁起絵巻の総数は、9件(14点)。ほかにも、縁起の内容を掛軸にして絵解き使用された資料や、粉河寺参詣曼荼羅など、さまざまな絵画資料にあらわされた粉河寺の縁起をご紹介します。
 粉河寺縁起写 伝冷泉為恭筆 江戸時代 個人蔵
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 粉河寺観音霊験記 江戸時代 粉河寺御池坊蔵
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 粉河寺御池海岸院本尊縁起 江戸時代 粉河寺御池坊蔵
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◎粉河寺と周辺地域に伝わった仏像・仏画を一堂に紹介!
粉河寺に伝わる千手観音二十八部衆及び童男行者・大伴孔子古像(室町時代)の中尊千手観音像は、脇手のうち左側の一番下の手(施無畏手)に刀子の入った鞘をつけた帯を持ち、左肩には紅の袴を掛けています。 それぞれ粉河寺の縁起のなかにその典拠があって、粉河寺にのみ見られる独特の姿です。展示ではこの粉河寺式千手観音像を、実物と写真パネルで5件紹介します。 また、粉河寺周辺のかつての寺領荘園内に伝わってきた仏像や仏画などの文化財も紹介します。紀の川市上丹生谷の西方寺に伝わる二天立像(平安時代)、五大尊像(室町時代)、紀の川市西川原の釋尊寺弁才天及び十五童子像(南北朝時代)、ほか粉河寺門前にて活動した刀鍛冶の国次の刀、粉河寺内にあった誓度院に関する古文書(興国寺蔵)など、初公開資料を多数含む古代・中世の文化財が、博物館に一堂に集まります。
 千手観音二十八部衆及び 童男行者・大伴孔子古像 室町時代 粉河寺蔵
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 弁才天及び十五童子像 南北朝時代 釋尊寺蔵
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 持国天立像(二天立像のうち) 平安時代 西方寺蔵
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 五大尊像 室町時代 西方寺蔵
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