展示のみどころ


 古の日本では、人知を超えた自然の力を神として畏(おそ)れ敬(うやま)ってきました。やがて神殿が用意され、神々が常にそこに住まうと考えられるようになると、その生活の道具として「神宝」を特別に作り、神殿に納めるようになりました。社殿や神宝が古くなると、神が新たな力を得てよみがえることができるように、社殿を建て替えたり、神宝を新しく作り直したりします。このとき新しい神宝とひきかえに神殿から下げられた古い神宝を「古神宝」と呼びます。

 熊野三山の一つとして古来信仰を集める熊野速玉大社(和歌山県新宮市)には、南北朝時代・明徳元年(1390)に天皇や足利(あしかが)義満(よしみつ)らによって奉納された、およそ1000点の古神宝が伝わります。当時の工芸技術を結集した熊野速玉大社の古神宝は、平安時代以来の宮廷文化をうかがわせるとともに、奉納者や制作者の、神々に対する強い畏敬(いけい)の念を感じさせます。

 神々に捧げられ、現在は国宝となっている古神宝類を通じて、古の人に思いをはせていただきたいと思います。

みどころ1   展示資料のすべてが国宝


「金銀装(きんぎんそう)鳥頸太刀(とりくびたち)」(柄に鳥の頭をあらわした長い刀)▲

 全国の神社に貴重な古神宝が残されるなかでも、熊野速玉大社の古神宝は約1000点という圧倒的な数量を誇ります。さらに、奉納年が南北朝時代・明徳元年(1390)と明らかで、奉納者も後小松(ごこまつ)天皇(てんのう)・後円融(ごえんゆう)上皇(じょうこう)・室町将軍足利義満と諸国の守護であることがわかります。

 もちろん、当時の最高の工芸技術を駆使して作られた品々ばかり。これらの重要性から、熊野速玉大社の古神宝類は一括で国宝に指定されています。 

 

みどころ2  神様のくらしと宮廷のようすが垣間(かいま)見える

 

 神宝は、神々に神殿の中で不自由なく暮らしてもらうためのものですので、正装するときに被る冠から、寝るときに使う布団まで、様々なものが捧げられています。古神宝のデザインは、基本的に、平安時代以来の宮廷のしきたり(有職故実(ゆうそくこじつ))にのっとっています。

 

 衾(ふすま) 黄地(きじ)浮線綾(ふせんりょう)丸文(まるもん)唐織物(からおりもの)

(寝るときにかけるふとん)

 

みどころ3  名品の手箱を2つ並べて展示


 ▲ 松楓(まつかえで)蒔絵(まきえ)手箱(てばこ)
(松と楓のもようをあらわした化粧道具箱とその中身)

 熊野速玉大社には12の神々がまつられています。古神宝はその12の神々と、摂社(せっしゃ)の阿須賀(あすか)神社(じんじゃ)を含めた13社の神様に奉納されています。その中でも、13社の神々それぞれに捧げられた「手箱」は、まさに玉手箱というべき美しさです。今回は、そのうち2つの手箱を、中に収納された化粧道具とともに並べて展示します。