作 品 紹 介


(1)聖徳太子孝養立像 (しょうとくたいしきょうようりゅうぞう)→画像

和歌山県指定文化財 木造
像高
127.7p 鎌倉時代後期

 高山寺の信仰の中心として、長く伝えられてきた像である。聖徳太子が16歳の時、父の用明天皇の病気が治るように祈った姿をあらわす。彫刻の表現様式から、鎌倉時代後期までさかのぼるものと考えられる。県内では、中世にさかのぼる聖徳太子孝養像は確認されておらず、非常に貴重である。現在は、多宝塔に安置されている。

 

(2)弘法大師坐像(こうぼうだいしざぞう)→画像

木造 像高79.3p 鎌倉時代後期

 高山寺大師堂は田辺の人びとの信仰を広く集め、参詣者も多い。本像は大師堂に安置される弘法大師坐像で、初公開となる。一木割矧造として首を襟に沿って割り放すなど古様な構造で、目鼻立ちのはっきりした明快な表情、肘をゆったりと構えた姿勢、充実した張りのある立体表現などの特徴から、鎌倉時代後期の制作と見られる。類例の少ない中世弘法大師像として極めて貴重である。

 

(3)寒山拾得図 長沢芦雪筆 (かんざんじっとくず ながさわろせつひつ)→画像

和歌山県指定文化財 紙本墨画 縦86.5p 横160.0p 江戸時代 天明7年(1787)

 江戸時代中期に活躍した画家・長沢芦雪が、高山寺に来訪して残した作品である。高山寺に残る記録「三番日含」(県指定)によると、芦雪は天明7年(1787)の2月12日晩から15日昼までの間滞在し、この絵を初めとして、いくつかの作品を描いたことがわかる。

 

(4)鉄鉢 丸山古墳出土(てっぱち まるやまこふんしゅつど)→画像

鉄製 高さ19.7p 口径25.0p 古墳時代中期(5世紀前半)

 紀の川市貴志川町上野山に所在する丸山古墳は、直径42mの円墳である。この古墳からは、昭和8年(1933)・9年に、多量の鉄製品をはじめとする、副葬品が発見されたという。この資料は、そのうちの一つで、朝鮮半島には類例があるものの、国内では他に類を見ない独特の資料である。その後の調査に関わった、田辺在住の考古学者・浦宏(18971983)の旧蔵品。