展示のみどころ


 

天神縁起絵巻(てんじんえんぎえまき) 3巻 天満神社蔵 貞享2年(1685)

 和歌浦の天満宮に伝わった3巻からなる縁起絵巻です。太宰府に左遷された菅原道真が怨霊となり、鎮めるために神として崇められ、北野天満宮が建てられたことなどを描いています。
 奥書から貞享2年(1685)に紀伊藩付家老の子であった水野重孟
(しげたか)が書写させ奉納したものとわかります。荏柄天神縁起(重要文化財・前田育徳会蔵)と基本的な内容は一致しますが、相違点もあって、この系統の写本研究の上で重要な情報を提供しています。

 

五祖栽松図(ごそさいしょうず) 1隻 草堂寺蔵 天明6~7年(1786~87) 重要文化財

 中国禅の第五祖弘忍(ぐにん)(602~675)の前世の姿を描いた絵です。伝承によれば弘忍は父を知らずに生まれ、子どもの時にすでに仏性を得て、老いるまでひたすら松を栽えた道者でしたが、第四祖の道信に出会い、教えを受けるために生まれ変わり、童子となって再び道信のもとに参禅した、といいます。そうした高僧の物語を象徴的に示した禅画の一つです。指や手で描く指頭画(しとうが)の技法で、栽松道者(さいしょうどうじゃ)の「骨相奇秀(こっそうきしゅう)」の風貌と、重量感ある立ち姿を高い精神性を伴って描いたもので、長沢蘆雪(ながさわろせつ)(1754~99)の傑作です。

 

那智参詣曼荼羅(なちさんけいまんだら) 1舗 熊野速玉大社 室町~江戸時代

 熊野三山のうち那智山を描いた参詣曼荼羅は、全国に30点以上確認されます。熊野の勧進聖(かんじんひじり)が携え、諸国に定住する中で残されたもので、本宮・新宮の勧進聖もこれを用いました。本図は、新宮・神倉山麓の妙心寺にかつて伝来した資料で、同寺は絵解(えと)き勧進の主力であった熊野比丘尼(くまのびくに)を統轄する拠点寺院。普段は折り畳み、使用時に広げて絵解きを行った本来の使用形態を伝えています。