戦国都市 根来


根来(那賀郡岩出町)の地は、南海々にほど近く、西側を和泉国に抜ける根来街道が走る。こうした交通の要所に所在した根来寺は、戦国時代、単なる寺院としてではなく、一個の都市として発展してゆく。各坊院は僧兵を組織し、門前の坂本には町屋が軒を並べていた。また様々な経済活動によって莫大な富が山内に蓄積された。今日、10年間の発掘の成果を得て、当時の根来寺のすがたが明らかになりつつある。

覚鑁と根来寺


覚鑁(一〇九五〜一一四三)は肥前国に生まれ、二〇才のときに高野山に入った。その後、鳥羽上皇の援助を得て修行僧に学問を授ける伝法会の復興など、真言宗の改革運動を推し進めた。しかし覚鑁の運動は、金剛峯寺との抗争を招き、保延六(一一四〇)年、彼は、根来に下山した。覚鑁の死後、弟子達は高野山に帰るが対立はやまず、正応元(一二八八)年、ついに一門はこぞって根来に退去する。根来寺はこうして誕生した。