空襲による被害


昭和一九年の秋以降、アメリカ軍は本格的に日本各地を爆撃し始めた。阪神地方をおそうB29の飛行ルート上にあった県下では、その度に空襲警報が発令され、県民をおびやかした。一方、県下への空襲は昭和一九年一一月から翌年八月まで二〇〇回前後に達し、その被害は四市二〇町四九村に及んだ。爆撃の目的は主に軍需工場であったが、その巻き添えになる住民も多かった。また、都市部だけでなく、小さな集落が攻撃を受けることもあった。