紀州藩の文芸


紀州藩は、徳川御三家のひとつとして、それにふさわしい文化・芸術の育成につとめた。そのもとに、藩内外から多くの人材が集まり、活況を呈した。なかでも藩が後援した表千家の茶道は、藩主から庶民にまで広がり、偕楽園焼・瑞芝焼・南紀男山焼などの陶磁器が焼かれる基盤となった。また、祇園南海・桑山玉洲・野呂介石ら文人画家の活動は、全国的にも多大な影響を与え、その後のわが国の文人画の展開に大きく寄与している。

紀州の三大文人画家


祇園南海・桑山玉洲・野呂介石の三人の画人を総称して、紀州の「三大文人画家」という。南海は中国渡来の絵手本によって水墨の四君子・山水を描き、日本の近世文人画の開拓者となった。玉洲は、池大雅ら中央の画家との交流の中で
文人画論を展開する一方、やわらかな色調の山水画を数多く描いた。玉洲とほぼ同世代の介石は、藩の物産方役人として領内を調査するかたわら、山水・四君子の作品を大量に描き、また後進を育成した。