弥生時代の集落


弥生時代に入ると、集落は水田に近い沖積平野の微高地や自然堤防上に営まれるようになる。そこでは稲作に欠かせない水の管理をするために、人々は水系ごとにまとまりのある集団を形成し、共同で作業を行っていた。また、後期には動乱の時代に対処するために、高地性集落や環濠集落などの防禦を目的とした集落もあらわれた。

弥生時代の吉田遺跡


吉田遺跡は、標高約一二メートルの紀ノ川の氾濫によって削られた扇状地に営まれている。
そこでは、弥生時代〜鎌倉時代の住居跡などが重なって検出されている。弥生時代中期の遺構として、円形の縦穴住居跡(十二棟)・方形周溝墓・壺棺墓などが検出され、後期のものでは中央部に炉を持つ十七棟の住居跡が確認されている。九号・五五号住居跡からは勾玉や管玉が出土し加えて原石も見られることからここが石器の共同製作所であったと考えられる。