古代国家と民衆

古墳時代に入ると、畿内を中心とした国家的なまとまりがめばえた。こうした動きの中で、民衆はまず地域の豪族による間接的支配を受けていたが、次第に政府から派遣される役人によって直接国家の支配を受けるようになった。7世紀後半から8世紀初頭にかけての律令の制定により、このようなしくみはひとまず完成する。律令では建前として土地や人民はすべて天皇の所有物であるとしているが、地域の伝統的な服属関係を完全には解消できなかった。

貢納のしくみ

成文化された律令の制定によって、人々は戸籍や計帳に一人残らず登録され、体系的な国家への負担を強いられるようになった。これらの負担は、令(行政法)のなかで課税の対象・品目や用途が細かく規定されているが、生産物で納めるものと労働で納めるものとに大きく二分できる。このような重い負担に、人々の生活は圧迫されていたが、税の未納や逃亡などの抵抗が目立つようになり、律令制を根本で支える税のしくみは変質・崩壊していった。