平安時代後期になると紀伊国内には多くの武士団が生まれ、荘園の中心地や交通の要衝に館(たち)を構えるようになりました。紀州の代表的な武士団には隅田党、佐藤一族、湯浅党、熊野水軍などがあります。

 イメージ図には鎌倉の有力な御家人のものと思われる館の想像復元図と粉河寺縁起の中の3つの場面が描かれています。粉河寺縁起は、前半に紀伊の猟師、大伴孔子古(おおとものくじこ)が童子から千手観音像を授かり粉河寺を開く経過を描き、後半に河内の長者の娘が観音の加護で重病から救われる霊験譚を描いています。絵巻は縦30.8cm・横19.5mで、かつて火災にあったらしく、天地には焼けこげの跡がみられます。

 イメージ図に描かれているのはいずれも後半の場面で、1つは童の行者が長者の邸を訪れるところで、堀をめぐらし板塀で囲まれた邸のようすがわかります。2つ目は門を入った庭先で、運び込まれた貢物が見え、3つ目は娘の回復を祝って蔵から財宝を運び出す所で、頑丈な格子を組んだ蔵の様子がわかります。

中世@-@イメージ図(武士の館と粉河寺縁起)