中世A-@イメージ図(根来谷と根来の坊院)

  根来寺(岩出町)の新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の総本山で一乗山大伝法院(いちじょうざんだいでんぽういん)といい、高野山の僧侶であった覚鑁(かくばん)上人(1093〜1143)によって平安時代に開かれた寺院です。

  根来は南海道にほど近く、紀伊国と和泉国(いずみのくに)を結ぶ交通の要衝にあり、戦国時代には単なる寺院としてではなく一つの都市として、500の坊院を持ち6000の人々が暮らしていました。またそれぞれの坊院は根来衆とよばれる僧兵集団をかかえ、地主としての権益や油商売によってばく大な利益をたくわえていました。

 根来寺は1585(天正13)年の秀吉の紀州攻めによって大塔といくつかの寺院を残して炎上させられます。根来寺遺跡は1976(昭和51)年に初めて確認され、発掘調査が進められており、日本の三大中世遺跡の一つに数えられていました。