近代・現代 @紀伊徳川洋式演武之図

 明治新政府に協力する姿勢をみせるため、和歌山藩主徳川茂承(もちつぐ)(1844〜1906)は津田出(いずる)(1832〜1905)を抜擢して藩政改革を行いました。兵制改革はその重要な柱のひとつで、全国に先がけて明治3年に「交代兵」制度とよばれる徴兵制を実施しました。これは、20歳以上の男子から徴兵を行い、3年間の兵役につかせる(その後8年間は予備・補充兵として軍務につく)というもので、軍事顧問にはカール・カッペンを招き、プロシア(ドイツ)式の軍事訓練を行いました。これは明治6年に政府が出す徴兵令にきわめてにていました。
 一方、徴兵される側の人々は、免役条項(一家の主人であることや、一人っ子であることなど)を活用して徴兵をのがれようと知恵をしぼりました。
 この図はその訓練風景を描いたものです。これを描いた笹川遊原(ささがわゆうげん)(1829〜は父の笹川遊泉(ゆうせん)の後を継いで紀州藩の絵師の一人だった人物で
幕末から明治初期にかけて活躍しました。