何 唯 風 竹
 望 思 光 屋
 軽 起 自 蕭
 裘 死 適 然
 肥 回 畝 烏
 馬 生 寒 雀
  門 術 村 喧

近世 C華岡青洲画像

  自分は、何の富貴栄達も望まない。
  自然に恵まれた田舎に住んでいるが、ひたすら思うことは瀕死の
病人を回生させる医術の奥義を極めたい、ということである。
  金を儲けて絹の着物を着たい、立派な馬に乗りたいとは思わない。
  日々、患者の痛みや苦しみに心を痛め
 どのようにして患者を救えばよいのか、何とかならないものか。
  そればかりを思う毎日である。

 華岡青洲(1760〜1835)は那賀郡西野山村(那賀町)の医師の子として生まれました。
   京都で医学を学び、やがて乳癌手術の実現を志して、麻酔の研究に取り組み、1804(文化元)年、
世界で初めての全身麻酔による乳癌摘出手術に成功しました。
   また、春林軒塾という病院をかねた医術塾をひらき、1800人をこえる門人を世に送り出しました。
   この掛け軸は、春林軒塾を卒業して故郷に帰る弟子の一人ひとりに免状とともに青洲が贈ったもの
で、自画像の上部に自作、自筆の漢詩がしたためられています。
  また、1995年度に行われた発掘調査によって春林軒塾は雨水を排出する下水施設、防火用水、馬
小屋の排水を浄化する施設などをそなえ、医療施設として、優れた設計思想に基づいてつくられてい
ることが確認されています。