展示のみどころ


災害は忘れたころにやってきます。

 どんなに大きな災害であっても、時間が経てば、その記憶は薄らいでゆきます。昨年の東日本大震災や台風12号水害は記憶に新しいですが、昭和28年7月の七・一八水害、昭和19年と昭和21年に起こった東南海地震、南海地震など、60年以上経った大災害はご存じでしょうか。


先人たちが残してくれた災害の記憶を紹介します。

  東南海地震・南海地震を書き記した資料(古くは、684年の白鳳南海地震)、明治22年(1889)の大水害に関わる資料を紹介します。先人たちは、自ら経験した災害(地震・津波・洪水)を記録し、災害の記憶を後世の人々に伝えようとしました。

 

和歌山県指定有形民俗文化財

津波警告板
(つなみけいこくばん)  1枚

宝永4年(1707) 日神社蔵
(にちじんじゃ)(白浜町)
(展示資料番号17)



 

  草堂寺(白浜町)の三代住職松岩令貞(しょうがんれいてい)が村人に依頼されて、宝永地震・津波の様子や避難方法などを板に書き記したもの。草堂寺の初代住職が那智から勧請したとされる飛鳥神社(白浜町、のちに日神社に合祀(ごうし)される)に奉納され、祭礼の際に村人に読み聞かせたという。当時の知識人であった僧侶が記し、漢字にルビをふるなど、広く村人に災害を伝承させようとする意図が読み取れる。


昨年9月の台風12号水害で行われた文化財レスキューを紹介し、
 救出された文化財の一部を紹介します。

 平成7年(1995)年1月の阪神・淡路大震災、平成23年3月の東日本大震災を経験して、地域の歴史を語る文化財を残していくことが、被災地の復興にとっても大切であると認識されるようになりました。東日本大震災から半年経た9月の台風12号水害でも、自衛隊・警察・自治体・ボランティアの人々が行った救援活動のなかで、文化財も救出されています。展示では、和歌山大学紀州経済史文化史研究所と歴史資料保全ネット・わかやまによって行われた文化財レスキューの活動を紹介し、併せて救出された文化財の一部をご覧いただきます。

 

文化財レスキューの様子

 

被災地で行われた資料の保全活動

新宮市熊野川行政局では、熊野川の氾濫(はんらん)による浸水で、保管されていた教育関係資料が泥をかぶり、カビが発生していました。泥を払い、カビの状態を確認しながら、エタノールを噴霧して、カビの発生を押さえる応急処置が施されました。

(平成23年11月7日)
 

 

 

和歌山大学で行われた資料の保全活動

那智勝浦町では、那智川流域に収納箱を設置して、「思い出品」が収集されました。その一部を和歌山大学紀州経済史文化史研究所と歴史資料保全ネット・わかやま(ボランティア団体)が預かり、クリーニングや簡易補修が施されました。

(平成23年12月29日)
 


昨年9月の台風12号水害で救出された文化財


 (クリーニングのため和歌山大学に運ばれた仏像)


(仏像が安置されていた堂)       


  (阿弥陀如来立像)


(像内納入品)

 西山地区で拾得された仏像 一括

江戸時代(17~18世紀) 那智勝浦町保管
(展示資料番号54)

 土石流に襲われた西山地区(那智勝浦町井関)での救援活動のなかで、救出された仏像。大半は阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)(17~18世紀の制作)とそれに関連する部材(台座(だいざ)、光背(こうはい)、厨子(ずし))でした。県立博物館の調査で、像内に納入品(願文(がんもん)1通、毛髪を入れた包紙2枚)のあることが確認されました。このほか、地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)、小仏像、鰐口(わにぐち)、仏具、硯箱(すずりばこ)、前机(まえづくえ)なども救出されていますが、同じ堂内にあったものと考えられています。