@ 熊野速玉大社の国宝神像4躯、勢ぞろい!

 

夫須美大神坐像

ふすみのおおかみざぞう

熊野速玉大神坐像

くまのはやたまのおおかみざぞう

国常立命坐像

くにのとこたちのみことざぞう

家津御子大神坐像

けつみこのおおかみざぞう

(全て平安時代・熊野速玉大社蔵・国宝)

 平成17年に新たに国宝に指定された熊野速玉大社の神像4躯が、4年ぶりに勢揃いします。豪族の長ともいうべき熊野速玉大神、その妻、夫須美大神、二人の子である国常立命、そしてその3躯とは違う作者が造ったやや性格を違える家津御子大神、というまとまりを見せます。古代、熊野川河口部附近で勢力を持った豪族の祖先の神として造られたと考えられます。神の理想的な姿が完成する平安時代前期に作られた、日本の神像彫刻中、屈指の名品です。

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A熊野那智大社の古神像15躯を初公開!

 

夫須美大神坐像

ふすみのおおかみざぞう

黄泉津事解男神立像

よもつことさかのおのみことりゅうぞう

豊雲野命像首ホゾ部墨書銘

とよくもぬのみことぞうくびほぞぶすみがきめい

(全て桃山時代・熊野那智大社蔵・和歌山県指定文化財)

 平成19年、かつて熊野那智大社の社殿に奉安されていた古神像15躯の存在が明らかになり、翌20年にただちに和歌山県指定文化財に指定されました。熊野十二所権現と呼ばれるたくさんの神々を全て神像として表した、現存唯一の事例です。銘文から、桃山時代に奈良で活躍した下御門仏師宗貞らによって造られたことが分かります。下御門仏師は豊臣家のお抱え仏師であり、京都・方広寺の大仏も手がけました。天正15年(1587)から行われた豊臣秀長による那智山の戦災復興造営において造像されたものです。

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B 国宝・古神宝の輝きを間近に!

 

桐唐草蒔絵手箱

きりからくさまきえてばこ

衵 萌黄小葵浮線綾丸文二重織

あこめ もえぎこあおいふせんりょうまるもんふたえおり

(ともに南北朝時代・熊野速玉大社蔵・国宝)

 南北朝時代の終わり頃、明徳元年(1390)に新宮・熊野速玉大社の神々に、武具や装束、調度品類、いわゆる神宝が奉納されました。現在の国宝・熊野速玉大社古神宝類です。奉納の中心人物は南北朝の合一を目前に控えた足利義満。善美を尽くした最高の技術の結晶体であるこの神宝の製作は、富と権力を一身に集中させた義満にしか成し遂げられない大事業だったのです。

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C 謎の化石、那智経塚出土資料から発見!

 

魚化石(那智経塚出土資料のうち)

 (新生代第三期中新世以前<約1800万年〜1500万年前>・熊野那智大社蔵・和歌山県指定文化財)

 平成21年春、熊野那智大社と那智山青岸渡寺に所蔵される、かつて那智大滝の周辺に築かれた経塚(お経を埋めた塚)から出土した経塚出土資料全てを、和歌山県指定文化財に指定しました。その事前調査の中で、これまで全く知られていなかった、体長約12pの、完全な形のニシン目の一種である魚化石が含まれていることが分かりました。これだけ完全な状態での出土例は日本ではとても少なく、貴重な発見でした。

 残念ながら、那智経塚出土資料のほとんどは、正式な発掘調査で出土を確認されたものではないため、この化石がどういう場所から出土したのかまだ分かっていません。しかし、那智周辺の熊野層群という地層と同じ年代の化石であり、あるいは那智山出土の可能性もあります。