展示のみどころ
弘法大師像(こうぼうだいしぞう) 鎌倉時代(13~14世紀) 如意輪寺(有田川町) |
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有田川町中野の如意輪寺に伝来した弘法大師像で、鳥羽法皇熊野御幸の折に寄進されたとする伝承があります。右手に五鈷杵、左手に念珠を執って、背のある牀座に趺坐し、足下に浄瓶と沓を配置するいわゆる真如親王様大師像ですが、浄瓶が向かって左に置かれるのは珍しい図像です。褪色が進み、剥落もありますが、描線には弾力があって緊張を失わず、表情には生気があるなど、制作時期は鎌倉時代に遡るものと考えられます。高野山上の作例を除いて、現在のところ和歌山県下で確認されている画幅のうち、最も古い弘法大師像です。初公開。 |
一字金輪曼荼羅(いちじきんりんまんだら) 鎌倉~南北朝時代(14世紀) 霊現寺(和歌山市) |
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岩出市野上野の蟹谷山西方寺旧蔵資料で、一字金輪仏頂という仏を中心とした仏画です。ただしこの一字金輪仏頂の姿は、一般的なものとは大きく異なり、身は赤く、額に眼があり、腕を六本あらわした姿で、愛染明王という仏と通じるところがあります。またその手には輪宝や三弁火焔宝珠を手にしていて、如意輪観音という仏とも通じるところがあります。詳細は未だ明らかではありませんが、こうした特殊な姿が描かれるにあたっては、天皇家や中央政治とも近い真言僧の関与があった可能性があります。他に類例のない、日本でただ一つの特殊な姿の仏の像です。初公開。(画像は部分) |
宝冠釈迦如来坐像(ほうかんしゃかにょらいざぞう) 室町時代(16世紀) 大崎観音堂(海南市) |
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海南市下津町大崎地区の大崎観音堂の本尊像です。髻を結い、大衣と袈裟を着けて定印を結んだ姿で、観音像として伝わりましたが、本来は宝冠釈迦如来坐像という禅宗寺院に特有にみられる仏です。銅鋳造製で、漆箔仕上げとします。 同じ観音堂に天文10年(1541)に作られた伽藍神坐像と達磨坐像が残されており、作風もよく一致していて、この像も同時期、同工による造像と考えられます。古くからの風待ちの港である大崎港において、かつて禅僧たちが施設修造の勧進や人びとの交流に関わっていた歴史が、残された仏像を通じて新たに浮かび上がってきました。初公開。 |
龍華会図(りゅうげえず) 朝鮮時代 隆慶2年(1568) 如意輪寺(有田川町) |
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有田川町中野の如意輪寺に伝来した朝鮮時代の仏画です。朱に染めた画絹に金泥で、弥勒仏がこの世に現れて説法を行うようすを緻密に描いています。画記によって隆慶2年、朝鮮王朝第13代明宗の一周忌に際して、第12代仁宗后の恭懿王大妃が極楽往生を願って描かせたことが分かります。この時期の朝鮮王朝では仁宗と明宗の交代に際して外戚による熾烈な権力闘争が繰り広げられており、本図の制作と供養もそうした政治の動向と連なる可能性があります。新出の朝鮮仏画の重要作例であり、和歌山県立博物館で保管のうえ、初公開します。 |