展示のみどころ
県立博物館の新しい“たからもの”
1 南方熊楠(みなかたくまぐす)は町村合併に反対 —原稿「新庄村合併(しんじょうむらがっぺい)に就(つき)て」(展示番号20)—
田辺に住んでいた南方熊楠(1867~1941)は、昭和10年(1935)から翌年にかけて、県の「田辺大合併構想」に反対する意見を新聞などで発表しています。そのうち、『牟婁(むろ)新聞』に連載された記事の原稿を、当館で初めて展示します。このほか、植物学に関するやりとりをした、熊楠自筆の書簡(雑賀貞次郎(さいかていじろう)宛・宇井縫蔵(ういぬいぞう)宛)6通を、初めて公開します。
2 新発見 国宝の写し —明恵上人像(みょうえしょうにんぞう)(樹上座禅像(じゅじょうざぜんぞう))模本(もほん) (展示番号3)—
有田郡の出身で、鎌倉時代に京都で活躍した明恵(1173~1232)の肖像画としては、京都・高山寺(こうざんじ)に伝わる国宝・明恵上人像(樹上座禅像、鎌倉時代)が有名ですが、その江戸時代後期の模本を、このたび初めて公開します。幕末に、社寺に所蔵される古画を研究した冷泉為恭(れいぜいためちか)(1823~64)との関連性もうかがわれ、この作品が当時すでに有名な絵であったことが分かります。
3 心の中を絵に —心の双紙(そうし)(展示番号17)—
江戸時代の中ごろに、「寛政(かんせい)の治(ち)」という幕府の緊縮財政政策を推進した松平定信(まつだいらさだのぶ)(1758~1829)は、多くの著作を残していますが、そのうち人の心には表裏があることを戒めたのが、この「心の双紙」という挿絵(さしえ)つきの巻物です。これは、現在では失われた原本を忠実に写した写本で、紀伊徳川家の南葵文庫(なんきぶんこ)に所蔵されていたものです。