展示のみどころ


  

相撲図絵馬(すもうずえま)                       1面                                                 紀州東照宮蔵


板絵金地著彩 縦115.8㎝ 横107.3㎝
元和7年(1621)      (資料番号2)

 「かわずがけ」のような決め手で勝負する二人の相撲取りが描かれた絵馬。家臣の丹羽(にわ)金十郎(きんじゅうろう)氏光(うじみつ)が、家康の命日に合わせて、元和7年(1621)和歌浦に創建された紀州東照宮に奉納した。丹羽氏の子孫は、家康の百回忌以降、五十回忌ごとに、儒者やお抱え絵師に文字や絵の修理をさせて、再奉納している。元治2年(1865)の際は、藩校学習館督学(とくがく)の川合(かわい)(おさむ)が文字、お抱(かか)え絵師の野際(のぎわ)蔡真(さいしん)が絵の修復をおこなっている。

 

加納家(かのうけ)旗指物図(はたさしものず)(加納家(かのうけ)伝来(でんらい)資料(しりょう)のうち) 
                                                                                 1幀     和歌山県立博物館蔵


紙本著色 縦29.1㎝ 横67.1㎝ 江戸時代(18~19世紀)   (資料番号28)

  家臣の加納家(加納平次右衛門)が使用した旗指物を描いたもの。旗指物とは戦場で敵味方の識別に用いられた旗で、形や文様などは趣向によって様々なものがあった。本図には、加納家の家紋(「丸(まる)に違(ちが)い柏(かしわ)」)の文様がみえ、貼り紙に使用者名、文様の説明や寸法などが記されている。加納家は三の丸に屋敷を構えた上級家臣で、平成28年加納家のご子孫の方から、当館に加納家伝来資料が寄贈された。初公開。

 

川御座船(かわござぶね)龍門丸(りゅうもんまる)船名額(せんめいがく)  1面       宝来山神社蔵

 
 木製漆塗 縦31.5㎝ 横63.5㎝ 寛政10年(1798)   (資料番号35)

 紀伊藩の川御座船であった「龍門丸」に掛けられていた船名額である。額縁(がくぶち)の金具には、三つ葉葵が刻まれている。中央に「龍門丸」の文字を彫り込み、金箔(きんぱく)を押し、ほかの部分は黒漆が施されている。裏面から、寛政10年(1798)7月に井田忠順が揮毫(きごう)したものとわかる。この船名額は、艫(へさき)真向(まむき)の艫矢倉(ともやぐら)(船尾まん中のデッキ)のうえに掲げられた。もとは郷土史家の石村賢次郎氏(和歌山市)の手元にあったが、賢次郎氏の祖母がかつらぎ町萩原の出身であったことから、昭和6年(1931)宝来山神社に奉納された。初公開。

 

白樫家(しらかしけ)(旧大村家(きゅうおおむらけ)屋敷(やしき)古写真(こしゃしん) 4枚のうち1枚
                                                       個人蔵


写真 縦17.1㎝ 横22.0㎝
昭和時代(20世紀) (資料番号45)

 大村家の主屋(おもや)や長屋門は、明治30年ごろ白樫甚一氏(1847~1918)によって堀止東に移築された。この写真は昭和初期に撮影されたものとみられ、甚一氏の妻タカ氏(1858~1942)が扉を開いた長屋門で佇(たたず)み、その奥に主屋(現存せず)がみえる。主屋正面には元の武家屋敷らしく玄関が構えられていたことが分かる。初公開。

 

桔梗紋(ききょうもん)軒丸瓦(のきまるがわら)(旧大村家長屋門使用瓦のうち) 一括のうち1点
                                                    和歌山市蔵


瓦製 径14.0㎝ 全長29.6㎝
江戸時代(19世紀)  (資料番号48)

 白樫家(旧大村家)長屋門に葺(ふ)かれていた軒丸瓦で、丸瓦列の軒先に用いられる。正面側の瓦当部には、大村家家紋の桔梗紋が入る。上面には「泉州深日(ふけ) 源四郎」の刻印がある。