展示のみどころ


 今年は紀伊藩初代藩主となる徳川頼宣が、駿河(静岡県)から紀伊(和歌山県)に入国して400年になります。それを記念する
この展覧会では、和歌山県立博物館と和歌山市立博物館とがおこなった共同調査の成果も紹介します。

 一つの展覧会を2館でおこなうという初めての試みです。

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 徳川頼宣が、父である徳川家康をまつるために建立した紀州東照宮に残る、家康と頼宣の所用品(甲冑・刀剣・装束など)を
2館でご覧いただけます。

① 13歳の徳川頼宣が、大坂の陣(初陣)で着用した具足 県立博物館で展示

 

 黒漆塗の兜は、眉形を打ち出したユニークな頭形(ずなり)で、日輪(にちりん)に鍬形(くわがた)の後立を備え、白熊(はぐま)の引廻(ひきまわ)しを付ける。胴は黒漆塗伊予札縹糸威(いよざねはなだいとおどし)で、朱塗の草摺(くさずり)、頰当(ほおあて)、籠手(こて)、佩楯(はいだて)、脛当(すねあて)などを備える。父である家康が頼宣の初陣具足として制作したという伝承があり、比較的小振りな具足がそれを裏付ける。この具足とともに南蛮風の襞襟(ひだえり)や鎧下着、陣羽織(じんばおり)が伝来しており、南蛮装飾を好んだ家康が、初陣という晴れ舞台での息子の活躍を祈る思いも感じられる。

 

 

 

 

←資料番号13
  縹糸縅胴丸具足
(はなだいとおどしどうまるぐそく)  徳川頼宣所用 
               紀州東照宮蔵 和歌山県指定文化財

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 共同調査で確認できた、和歌山県外の寺社に残る頼宣やその生母・お万の方(養珠院)にかかわる資料をご覧いただけます。
 県立博物館では、紀伊入国以前の伏見(京都市)や駿河(静岡県)と頼宣とのかかわりを示す、御香宮
(ごこうのみや)神社(京都市)や
海蔵寺(静岡県焼津市)に残る資料を紹介します。
 市立博物館では、熱心な日蓮宗の信者であったお万の方(養珠院)とかかわりの深い本遠寺
(ほんのんじ)(山梨県身延町)に残る
資料を紹介します。

②駿河時代の頼宣が守り本尊にしたと伝えられる地蔵菩薩 県立博物館で展示

 

 

 

↑資料番号47 徳川(とくがわ)頼宣(よりのぶ)(まも)り本尊(ほんぞん)(なみびに)内厨子(うちずし)
                                                    海蔵寺蔵 焼津市指定文化財(附)


 葵紋のある厨子内の蓮華座上に安置された地蔵菩薩立像(銅製)である。左手に宝珠を取り、右手は前に出して五指を握り、錫杖を取る形となっている。像高1寸3分(3.9㎝)のごく小さな像であるが、立ち姿は整い、また表現に緊張感を失っておらず、鋳造時期は中世にさかのぼる。

  海蔵寺に残る江戸時代の縁起には、元和5年(1619)頼宣が駿河から紀伊に転封するにあたり、常々髻(もとどり)の中に入れて尊信してきた地蔵菩薩(守り本尊)を海蔵寺に奉納したとされている。海蔵寺では、和歌山や江戸へ守り本尊を運び、10代藩主治宝(はるとみ)や11代藩主斉順(なりゆき)の前で開帳したという記録も残されている。

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 頼宣は紀伊藩初代藩主として藩政の基礎を築いた人物で、亡くなってからも藩祖として顕彰されてきました。
 県立博物館では、紀伊徳川家の菩提寺である長保寺に残る頼宣ゆかりの品を紹介します。
 市立博物館では、明治時代以降に紀州東照宮や頼宣をまつる南龍神社(のちに紀州東照宮に合祀)へ
奉納された品を紹介します。

③八代将軍吉宗が長保寺にある頼宣の霊前に奉納した香炉と香台  県立博物館で展示



 朱漆塗
(しゅうるしぬり)の香台の上に、置かれた鋳銅製(ちゅうどうせい)の香炉である。香炉は葵紋の金貝(かながい)を蓋(ふた)と側面に貼り付けている。その蓋のつまみと四脚には、獅子(しし)の意匠が用いられている。黒漆塗の収納箱の蓋裏には、享保10年(1725)に八代将軍徳川吉宗が、祖父にあたる南龍院(頼宣)の霊前に寄進した旨が記されている。享保10年は吉宗の父・清渓院(せいけいいん)(二代藩主光貞)の21回忌にあたる年で、吉宗は和歌浦雲蓋院の光貞霊屋(たまや)には大坂で発注した灯籠を寄進し、藩祖である頼宣に対して、江戸から運んだこの香炉を寄進している。


 

←展示番号186
  銅製香炉
(どうせいこうろ)
   並(ならびに)朱漆香台(しゅうるしこうだい)
                          長保寺蔵