展示のみどころ


◆ ◆ ◆ 装いの美 紀州の着物大集合! ◆ ◆ ◆

 

神様のために作られた600年前の衣服!

 新宮市にある熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)には、明徳元年(1390)に、神様のために奉納された衣服が数多く残されています。まつられている12の神様にはランクがあり、そのランクに合った衣服が奉納されました。また、神社に残されている目録から、どの神様に奉納された衣服かもわかります。神様用の衣服として、実際には使用されずに神殿に奉納されていたため、600年以上の時を経て残されたのです。

 

修理後の初公開。よみがえった能装束

 平成14年(2002)、九度山町にある古沢厳島神社(こさわいつくしまじんじゃ)で、全国的にもきわめて貴重な桃山時代の能装束が新たに発見されました。それらは、平成17年(2005)に国の重要文化財に指定されました。しかし、これらは傷みが激しかったため、全面的な修理がおこなわれ、平成22年(2010)に修理が完了し、再び美しい姿でよみがえりました。今回の展示は、修理後、初めての公開で、修理のお披露目(ひろめ)となります。

 

徳川家康が着た着物

 紀伊藩初代藩主の徳川頼宣(よりのぶ)(1602〜71)は、徳川家康(いえやす)(1542〜1616)の10男で、家康が亡くなった際には、御三家(ごさんけ)の一つとして、家康の遺品や遺産を受け継ぎました。頼宣は、紀伊へ来た翌年に、家康を神としてまつる紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)を建て、そこへ、受け継いだ家康の遺品の一部を奉納したのです。それらの中には、家康が実際に着用した着物が残されており、国の重要文化財に指定されています。

 

新発見!新指定!和歌祭の舞楽装束

 紀州東照宮の祭礼である和歌祭(わかまつり)では、さまざまな行列が登場しますが、その中には、雅楽を演奏する楽人(がくじん)行列があり、また、御旅所(おたびしょ)へ到着してからは、舞楽(ぶがく)の奉納がおこなわれました。紀州東照宮には、こうした際に使用された舞楽装束が残されていましたが、近年、さらに新たな装束や道具が発見されました。また、その重要性が評価され、今年、新たに和歌山県指定文化財にもなりました。

 

◆加藤清正の華やかな袈裟

 和歌山市内にある報恩寺(ほうおんじ)には、紀伊藩初代藩主の徳川頼宣の夫人である瑤林院(ようりんいん)(1601〜66)の墓があります。瑤林院は、加藤清正(きよまさ)(1562〜1611)の娘であったため、報恩寺には、瑤林院と清正ゆかりの資料が奉納されました。報恩寺に残されている赤い華やかな袈裟(けさ)は、その箱書から、清正が頼宣に献上したもので、紀伊藩二代藩主の徳川光貞(みつさだ)(1626〜1705)が、報恩寺へ奉納したものであるとわかります。