作品紹介


            国宝 古神宝(こしんぽう)類のうち
(あこめ) 萌黄小葵浮線綾丸文二重織(もえぎこあおいふせんりょうまるもんふたえおり)

        明徳元年(1390) 熊野速玉大社蔵

とは、上着と肌着との間に着る衣のことで、
女性用のものは内側に着ることから「うちき」とも呼ばれました。
衣の色を美しく見せるために、何枚か重ねて着る場合もありました。

 この衵には、文様のある萌黄(萌葱(もえぎ))色の織物の上に、
紫や白の色糸で二重に文様を浮かび上がらせる高い技術が用いられています。
熊野速玉大社の重要な神様の一人である夫須美大神
(ふすみのおおかみ)という
女神に奉納されたと思われます。 


重要文化財 能装束のうち
萌葱地唐花尾長鳥文様繍狩衣
(もえぎじからはなおながどりもんようぬいかりぎぬ)

桃山〜江戸時代(16〜17世紀) 古沢厳島神社蔵

 狩衣とは、平安時代の公家が狩猟の際などに着る略服でしたが、
その後、正装に準じる装束となりました。
能では格式の高い衣とされ、
鬼神や皇帝などの威厳のある役で用いられたものです。

 この狩衣は、萌葱色の地に、さまざまな形で飛ぶ尾長鳥を、
全て刺繍
(ししゅう)であらわしています。
刺繍で文様をあらわした狩衣は、全国的にも例が少なく、とても珍しいものです。
桃山時代から江戸時代初期の特徴をよく示しています。
発見当初は、背中などに大きな破れや傷みがありましたが、
このたびの修理で、見事によみがえりました。


赤地唐草文金糸入縫取織七条袈裟(あかじからくさもんきんしいりぬいとりおりしちじょうけさ)

    桃山〜江戸時代(16〜17世紀) 報恩寺蔵

 

 紀伊藩初代藩主の徳川頼宣(よりのぶ)(1602〜71)の夫人である
瑤林院
(ようりんいん)(1601〜66)は、
加藤清正
(きよまさ)(1562〜1611)の娘にあたります。
この袈裟は、箱書によると、清正が頼宣に献上したもののようで、
紀伊藩2代藩主の徳川光貞
(みつさだ)(1626〜1705)が、
瑤林院の墓がある報恩寺
(ほうおんじ)へ奉納したものです。

 全体に華やかな袈裟で、
赤い地に、撚
(よ)りの強い金・緑・茶・白などの色糸を用いて、
唐草文らしきダイナミックな植物文様をあしらっています。
文様の部分は刺繍
(ししゅう)のように見えますが、
色糸の部分のみに糸を織り込んだ
縫取織
(ぬいとりおり)という技法が用いられています。