武士団の時代


平安時代後期になると、紀伊国内には多くの武士団が叢生する。彼らは荘園の中心地や交通の要所に館を構え、多くの下人・所従を従え、近隣の百姓たちをも支配しようとした。紀州の代表的な武士団には、隅田荘(橋本市)付近の群小領主層が結んだ隅田党、田仲荘(那賀郡打田町)から起こり平家々人になって勢力を伸ばした佐藤一族、紀北一帯に一族を配した湯浅党、熊野別当(三山の長官)が率いた熊野水軍などがある。

湯浅党


湯浅党は平治の乱(一一五九年)の際に湯浅宗重が平清盛の危機を救ったことから、平家の有力家人となって勢力を伸ばす。源平合戦の後には幕府の御家人となり、多くの所領の地頭職に補任され、一族以外の武士も党の中にとりこんでいった。独自の警察権を持ち、村同士の相論や悪党事件に介入することもあった。強大な武力を背景に、紀北一体を支配下に置き、鎌倉時代後期には幕府から「紀伊国上使」の職に任じられた。