神護寺経と神護寺領荘園


神護寺経とは、鳥羽法皇の御願により久安五(一一四九)年頃つくられ、後白河法皇の手で神護寺に納められ紺紙金字一切経である。後白河法皇は、源頼朝を後盾とする文覚の要請をうけ入れ、神護寺再興のための荘園を寄進する。その中には紀伊国のかせ田(笠田)荘・川上荘・神野真国荘が含まれていた。神護寺再興の一環として寄進されたものである。荒川経・中尊寺経と並ぶ、平安時代の代表的な装飾経。