浄土真宗(一向宗)の浸透


浄土真宗(一向宗)の紀州への浸透は、南北朝時代にはじまる。当初は漁民たちを中心にうけ入れられたようである。文明一八(1486年)に、本願寺八世蓮如が冷水浦(海南市)に下向し、門徒の拠点として御坊が置かれた。やがて、雑賀衆などの土豪層が門徒化し、彼らは本願寺の有力な支持勢力となっていった。その後、御坊の場所は黒江(海南市)、弥勒寺山(和歌山市)と次第に北に写り永禄六(一五六三)年、一一世顕如の下向により鷺森(和歌山市)に定まった。