玉置氏と手取城


南北朝時代には熊野の土豪にすぎなかった玉置氏は、室町幕府の奉公衆となって次第に勢力を拡大し、日高平野に進出した。その後、湯河氏と結んでこの地域を支配する。天正一三(一五八五)年、秀吉の紀州攻めにあたり、玉置直和が秀吉についたため、湯河氏との同盟は破れ、両者は戦矛を交えた。居城の手取城は、紀州最大規模の山城で、そこから日高平野を一望の下に見渡すことができる。遺構は、ほぼ完全なかたちで保存されている。