紀州の霊場


北に高野、南に熊野、その間をつなぐように観音霊場が点在する。都から程近くにありながら深い自然にとざされた紀伊国には多くの信仰の場が生まれた。皇族・貴族から一般庶民に至るまで、時代を通じて、神仏の加護を求める参詣者が続々と紀州路を訪れた。そして寺社の成立や由緒を語る縁起絵巻や、神仏のあり方を目に見えるかたちであらわした曼荼羅図などの、多くのすぐれた美術作品が生み出されていった。

西国三十三所観音霊場


那智山西岸渡寺に始まり美濃の華厳寺で終わる西国三十三所の観音巡礼は、四国遍路を並ぶわが国の代表的な巡礼である。三十三所の観音信仰は、観世音菩薩が人々を救うために「三十三身」に姿を変えて現れるという「法華経」の教えにちなむ。その功徳にあずかるための”信仰の旅”は平安時代後期から始まり、室町時代には広く一般庶民にまで広がった。県内には西岸渡寺に続く二番札所の紀三井寺、三番札所の粉河寺が所在する。