和歌山藩の交代兵制


明治新政府に協力する姿勢を見せるため、明治初年藩主徳川茂承(しげつぐ)は津田出(つだいずる)抜擢し、藩政改革を断行した。なかでも兵制改革は重要な柱のひとつであり、全国に先駆けて「交代兵」制度と呼ばれる徴兵制を実施した。軍事顧問にはカール・カッペンを招き、プロシア式軍事訓練を行った。軍隊の近代化は関連産業の勃興を促し、和歌山の地場産業の基礎を形成した。なかでも、綿ネル(フランネル)・皮革産業はその代表的なものである。