交代兵制と徴兵制


明治三(一八六九)年、和歌山藩では「兵賦略則」という軍隊編成の規則を制定した。それは封建制軍隊の解体をめざして、二〇才の男子を士農工商の別なく常備軍(交代兵)と予備軍(予備兵・補欠兵)に分けて徴兵して、藩の正規軍を創出しようとするものであり、わが国兵制史上画期的なものであった。これは、政府が明治六(一八七三)年に公布した徴兵令にきわめて類似している。一方、徴兵される民衆側は免役条項を活用し、徴兵令逃れの道に知恵をしぼった。