近代教育とその影響


明治5(1872)年、政府は学制を配布して従来の寺子屋・藩校に代わる近代学校の整備に着手した。これは、全国民に学校教育を受けさせようとする公教育思想にもとづくものであったが、国家の管理の下で画一的な運営をめざしたため、県下では実状にそぐわない面も多かった。公教育の基本理念はナショナリズムとデモクラシーであるが、義務教育制度が定着するにつれて前者に重点が置かれるようになり、最終的には軍国主義を支える結果となった。