風土と生産


高く深い山、半島を囲む黒潮の海。紀州の人々の生産活動は、こうした自然と格闘して
その恵みを引き出すことであった。民衆の日々のたゆまぬ努力により、生産技術は少しずつ改良され、分業も進んでいった。江戸時代は、そうした民の努力の成果が、地場産業の発展というかたちで帰結した時代であった。そkで生み出された産業技術は、紀州から全国各地に普及し、永く伝えられていった。

紀州の産業


紀州の産業の特色は、その風土の個性によって作り出されている。たとえば有田郡では、温暖な気候と山がちな地形を生かした蜜柑栽培が行われ、代表的な産物となる。良質の水に恵まれた湯浅村では、藩の保護をうけた醤油製造業が盛んであった。豊かな山林をもつ熊野地方では、林業の発達を見た。また黒潮の影響をうける紀伊水道や熊野灘は、優れた漁場となった。加太の鰯漁はは関東にまで進出し、太地の捕鯨は九州や土佐にもその技術を伝えた。