紀州藩と紀州徳川家


慶長8(1603)年、江戸幕府が開かれ、幕藩体制が成立する。浅野氏二代の後をうけて、紀州には家康の十男徳川頼宣(よりのぶ)が入国し、55万5千石を領した。紀州藩領には、高野山寺領をのぞく紀伊国全域および伊勢国南部が含まれた。御三家の一つである紀州徳川家には幕府から「附け家老」が付けられ、新宮には水野家、田辺には安藤家が配され、それぞれ支藩を形成した。また伊勢国松阪・田丸にも支城が置かれた。

和歌山城


(欠作町より御城迄の図 和歌山県立図書館蔵)
雑賀衆以来の城岡山に築かれた平山城。その後、豊臣・浅野時代を経て徳川頼宣の手で改修され、今日のような姿となった。

新宮城


(大辺路及熊野川図 当館蔵)
浅野忠吉(幸長次男)が築城に着手し、付家老として新宮を領した水野忠仲が完成させた城郭。

紀州藩領と諸城