古墳時代の集落

古墳時代に入ると、弥生後期の防禦性の強い集落は完全に姿を消し、微高地の上に5〜6棟で一つのまとまりを持った集落が一般的になる。農業・土木技術の進展とともに集落の数は増加するが、分散化・小規模化の傾向が強まる。一方、支配者たちは一般農民から隔絶した場所に掘ったて柱建築の居館を築き、倉庫に富を蓄積するようになる。

古墳時代の吉田遺跡

古墳時代の遺構からは、竪穴式住居(三三棟)と堀立柱の高床倉庫跡が検出されている。住居は四本柱をもち、平面プランは円形から方形ないし隅丸方形に変化した。四世紀の住居小ぶりの炉が中央部にあり、貯蔵穴は一辺の壁の中ほどに設けられ、ベンチ状の段もみられる。また五三号住居跡からは大量の土師器が出土している。五世紀後半には竈が壁に接して造りつけられ、貯蔵穴は壁の隅に設けられるようになった。