律令国家の支配

7世紀後半から8世紀にかけて、天皇を頂点におく中央集権国家(律令国家)が生まれた。律令制が成立するなかで紀伊国では伊都・那賀・名草・海部・阿提(のちに在田)・日高・牟婁の7郡に分けられた。班田収授を行うために土地を区画した条里制は、その遺構をを各郡の中心地域に見ることができる。また紀伊国には、この頃整備が行われた南海道が通り、紀伊国府・紀伊国分寺などの地方行政の中心的施設はこの道沿いに設置された。