祇園南海は日本を代表する文人画家で、その最初期に活躍したトップ3の一人。紀伊藩士の子として生まれ、のちに紀伊藩の儒学者になった。今回の特別展では、美人読書図と峰下鹿群図を初公開!美人読書図は現存する南海唯一の美人図。峰下鹿群図は、もとになった中国の絵とあわせて展示。
長沢芦雪は京都の有名な画家である円山応挙の高弟。応挙の代わりに紀南の寺院を訪れて多くの作品を描いた。芦雪が紀州で最後に滞在したのが、田辺の高山寺。そこに残る寒山拾得図は即興的に描かれた大作。大胆な筆さばきで描かれた寒山は、紀州に別れを告げるかのようだ。
師匠である応挙の代わりに紀南を訪れた芦雪は、京都からいくつか応挙の作品を持ってきた。その一つが白浜の草堂寺に残る「松月図襖」。床の間の違棚の上にある小さな襖だが、金箔の上に描かれて美しい。天明5年(1785)という制作年代が書かれているのも重要である。
芦雪は動物に優しいまなざしを向け、いかにも可愛らしい動物の絵を描いたことでも知られる。古座の成就寺にある花鳥群狗図襖は、その中でも名品。襖の中で13匹の親犬・子犬がじゃれ合って遊んでいる。真ん中の母犬は優しそう。右側のツツジにとまっている小鳥も忘れずに。
司馬江漢は日本ではじめて銅版画を描いた西洋かぶれの画家。主に江戸で活躍したが、先祖が紀州の出身だった。そんな縁で一度紀州を旅行して、いくつかスケッチを残した。そのスケッチを元に描いたのが紀州雑賀崎浦図。江戸時代には珍しく油絵で描かれており、サインもローマ字で綴っている。
京都の陶工として有名だった青木木米は、紀伊藩の10代目の藩主である徳川治宝に招かれ、紀州を訪れた。瑞芝焼という紀州のやきものを指導したとも伝えられる。その木米が描いた聴濤図。木米の絵は現存例が少なく、とても貴重。実は、文豪・川端康成もこの絵見て、名品だと箱書をしている。
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